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Archive for 2010年3月30日

UPSよ・・・。

わたしがワシントンDCに送った(はずの)航空券の半券はどこにいった?

2週間が経過し、私のもとにも戻ってきていないし、大使館のところにも無論届いていない。

やっぱり利用するなら、FedEXの方が安心出来るか。

郵政公社でも一般郵便捨てちゃうご時世だから、UPSがちゃんと仕事することを期待する道理もないか。

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普天間基地移設問題は、基本的に米軍(海兵隊)と沖縄との関係をどうマネージメントして、軟着陸させるかに尽きる。沖縄県の負担であるとか、米国のグアム移転云々という話はあるにせよ、日米安全保障条約と日米地位協定に手をつけない限り、この問題の基本的な構造は変わらない。ファシリテーターがいないまま一緒くたに議論が行われているが、これはnormativeなドメインの話ではなく、あくまでpositive な問題に過ぎない。

日米安全保障体制に手をつけない限り、米軍の安全保障戦略・政策がこの問題を議論する前提(与件)となり、日本は米軍の安全保障に(実質的に)フリーライドしている構造の中で「交渉」によって沖縄県の負担を軽減するという目標を追求せざるを得ない。だからこそ、外務省・防衛省は関係各位との良好な関係をどうやって確立・維持するかというところで腐心し、角が立たないように合意を醸成しようとする。

米軍にとっても沖縄県との良好な関係は実は重要である。それは、こうした与件がきちんと確保されている中で良好な関係を構築することが彼らにとって重要だという意味で、この与件に触れる部分について妥協をするということはまずもって考えにくい。普天間移設が可能になったのは、冷戦終結等の国際環境の変化があって、米軍の中で再編を念頭においた与件部分に該当する戦略や政策の再検討が行われていたからに他ならない。

米国が地元の合意を前提条件とするのは、日本政府によって「米軍がYesと言っているんだから、おたく我慢してください」という形で嫌われ役を押し付けられることを警戒しているからに他ならない(それこそ、地元の関係構築が難しくなる)。

米軍との調整で重要なのは、米国の(アジア大洋州方面の)安全保障戦略・政策を最も効率的・効果的に実行する施策・計画を立案・実施することが米軍の組織としてのアイデンティティと誇りであることを忘れないことだ。米軍の運用あるいは訓練計画がおかしいという議論を素人がふっかけることの帰結を真剣に念頭に置くべきであろう。これは、「民主党、特に鳩山とその取り巻きは無能だ」と大統領や首席補佐官が公言する中で、日本の民主党がわざわざ日米首脳会談を要請することなど考えられないという至極当たり前のことの裏返しだ。あるいは、与件に手を触れることを考えるようなインセンティブを日本が提供出来るかだろう(2+2で取り交わされた合意等はまさにこういう与件をいじくるアプローチ)。

「日米同盟の深化」というレトリックで如何ようにも後者のオプションを追求するチャンスもあったが、それも昨年のごたごたで潰してしまった以上、もはやこの問題は政策論ではなく単なるトラブルシューティングの話でしかない。個人的にはいろいろ細部を見ていくと勉強にはなるけど、生産的な話ではないな。

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塀の向こう側。

(流石にファイナルが近づいてきているからか)Central Campus の端末が埋まっていたので、珍しくNorth Campus のcomputer siteでレポート作成をする羽目に。液晶の画面が小さかったり、キーボードが汚れていたり、あまり好きではないのだけど。作業している合間にお手洗いにいった時に、キャンパスのgallery spaceを「Annual Exhibition of Art by Michigan Prisoners」という展示会をやっていた。

20年前(1990年)にはじまったthe Prison Creative Arts Project (PCAP)というミシガン大学を拠点とするプロジェクトが主催しているのだけど、その名のとおり、刑務所や少年院、矯正施設に収容されている人々に芸術活動に取り組んでもらうというもの。こうした活動に取り組むことで、施設の中で自分の居場所を作ったり、あるいは(社会復帰を見据えて)社会との接点を持ってもらったり、あるいは創作活動を通じて自分自身を見つめる機会を得ることが出来る。

日本でも(室蘭に旅行に行った時に)刑務所の作業製品展示会を見学したけど、刑務作業よりはもう少し肩の力を抜いた、囚人による自発的な意志を尊重した活動の色が強い。手に職を付けることは無論社会復帰にとって大事なのだけど、(ほどほどの)創作活動は情操面でバランスを取るきっかけを得られるんじゃないかと。こうした活動を大学がホストしているというのはなかなか日本では見られないのではなかろうか。

ちなみに作品には値段がつけられていて、購入を出来るようになっている。もちろん全ての囚人に画才があるわけではなく、高校生や大学生の美術の課題レベルのものも散見される。塀の向こう側に入るにいたった経緯だっていろいろあるし、囚人のバックグラウンドも(きっと)多様なものだろう。展示会として何か一貫性があるわけでもない。まして、日本の温室みたいな環境で育ってきた人間にとって、その作品に共感出来るような文化的・社会的共通項を見いだすことはさらに難しい。

確かに「これは良いなぁ」という作品もいくつかあったけど、そういうのに限って、Not For Sale でございました。

大体$40 〜 $300くらいで買えるのだけど、自分の家の調度品にするにはなかなか自分の好みやニーズにマッチするような作風のものは見つけるのはなかなか難しい。

展示自体は4月7日までやっていて、その間に関連イベントもいくつか企画されている。単に彼らの作品を拝見し、掘り出しものを探すだけでなく、囚人の価値観や物の考え方、こうした非営利団体の活動が与える影響を考察したり、あるいは刑務所を取り巻く社会環境を考えるよい機会にはなると思う。ちなみにミシガン州の予算の中で、矯正施設関連の支出は高等教育機関への支出と並んでそれなりに大きな比率を占めており、州政府の問題を考えるという公共政策的観点からも興味深い取組みではなかろうか。

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