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Wikileaks とか。

朝日新聞あるいは沖縄二紙上において、wikileaksが入手した(wikileaksに流出した)在京米大発の公電がいくつか照会されている。日米関係というか日米同盟自体が日本の安全保障政策の根幹(土台)をなしているものであり、こんな重要な文書が世に出て大丈夫なのかしら・・・と言うつもりはあまりない。

大方の話は政権交代前後に匿名でオブラートに包んだ形で外に出ていたわけで、「いまさら」という印象が強い。

もちろんそうした話のディテールが表に出てきたわけで、米国は綿密な情報収拾を行い、新しい政権を理解しようとしていたし、外務・防衛両省は政治レベルとの関係に腐心しつつ、新政権下における両国の関係維持と相互理解のために緊密に連絡を取り合い、政権移行が外交・安全保障政策の障害にならないように努めていた。少なくとも国務省レベルにおいては、民主党がどのような政党なのか、その多様性と複雑さを的確に把握していたし、それは国内メディアで報じられている民主党の姿よりもよりニュアンスに富んだものだったように見える。

Wikileaks による米国公電の漏洩に際して起きている外務・防衛両省に対する批判も、つまるところ政権交代以後の外交課題の処理に際する迷走に際して見受けられたものに対して個人名や発言が加わったものに過ぎない。既存メディアあるいはブログ等の言論を見ていて非常に残念に感じるは、外交関係における「アジェンダ化」と政治家による「問題提起」を同列に扱っていることだろうか。その結果、何故政権交代以後の混乱あるいは迷走に拍車がかかったのか、という問題意識が、「政治主導に従わない官僚の抵抗」であるとか、「政治主導の終わり」みたいなセンセーショナルで、感情的なレベルの議論で終わっているように見える。

民主党が党内の合意形成過程においても与党は愚か一つの政党としても未熟であるし、また自らが提示した政治システム改革と国家運営においても、党自体のキャパシティビルディング(あるいは組織マネージメントのやり方)と同時並行で進めなければいけないという状態は依然として改善されていない。しかし、「民主党が未熟だから」という一言で問題を片付けるのではなく、国家運営に必要なものは何なのか、自民党政権期においてそれがどのようにして担保されてきたのか、それは時代の変化と共にどう適応していくべきだったのか、そうした観点から議論するための材料として、今回の失敗を活かすべきであるように見える。

はじまりの終わり。

卒業式翌日の5月1日、パソコンに向かってレポートをカタカタ打ち込みながらテレビをつけたところ、いきなり「Bin Laden Found Dead」という速報が流れてきた。ちょうど大統領の演説を待ちつつ、各メディアが漏れ伝わるところの情報を整理し、White House 前に人が少しずつ集まる様子を捉えているところからテレビを見ていた。

2001年9月11日以来テロとの戦いにおいてその中核的あるいは象徴的存在であり続けたBin Ladenを米国が自らの手で葬ったということは、少なくともAl-Qaedaと米国の間で繰り広げられた心理戦(テロリズムの重要な一側面)において米国は勝利したということを意味していることは言うまでもない。Al-Qaedaによる一連のテロ行為に意味付けを与えてきた指導者の存在が失われることによって、「テロ行為を認識する側」から見た一連のテロ行為に意味を与えてきたコンテクストの一部ないし全体が失われることになる。米国民ならびに関係者から見た場合に、一連の運動として認識されてきたAl-Qaedaのテロ行為は、ネットワークを構成していると認識されてきた各地のグループによる行為として認識される。文字通り、ポスト9/11時代の終わりであり、Al-Qaeda のもたらす脅威は9/11以前に近いものになる。

Al-Qaeda が国際的なテロ集団として卓越していたのは、Bin Ladenによる潤沢な資金や思想的なバックグラウンド、あるいは9/11で見せた大規模な作戦を遂行するロジを計画する能力よりも、むしろインターネットをはじめとするグローバル化を加速させた諸般の技術と組織のネットワークが結びついていたことだったように思える。「アメリカが勝つ=反米テロが無くなる」という状況が究極的な目標であるとするならば、明確に戦略目標を設定出来るようなものではない(時代の空気と戦うというのが軍隊のミッションとして成立するならその限りではないのだけれども)。

組織体としての Al-Qaeda というよりもネットワーク型の運動としての Al-Qaeda をイメージした時に、どこの国あるいはどの地域においても、Al-Qaedaという名前を冠した集団が破壊活動を行えば、それはAl-Qaedaとして認識される。そして、本体部分だと思われる Al-Qaeda は必要に応じて、そうした有象無象の集団を結びつければ、ネットワークを再生・複製・拡大することが出来る。インターネット等の技術は、情報共有、情報の発信、資金や物資の調達等において、そうしたネットワーク型の組織としての特性を拡張・強化することに寄与してきた。

ここで重要になってくるのは、精神的な指導者がいなくなったことで、自立的に動きがちな群体としてのAl-Qaedaが「組織」と呼びうるものか、というところだと思われる。個々のハブ型のグループは組織としての体面を持っていたとしても、全体として一つの「組織」として呼べるのかは、我々がFacebookやWikipedia等で見ている共同体を「組織」として形容しうるか。あるいは、2ちゃんねるあるいはその他のsocial mediaで時々開かれるオフ会を媒介にした集まりを我々は「組織」として「認識」するだろうか。

多分、Al-QaedaあるいはBin Ladenが遺した「理念」あるいは「レトリック」、個々の戦術(ノウハウ)みたいなものは残るとしても、散発的なテロ事件によって受ける心理的な攻撃からの防護という側面から見れば、今回のBin Laden 殺害は
米国民に対して「あの9/11を引き起こした Al-Qaedaは終わった」という見方を作り出したことは大きいと思う。

無論、個別の掃討作戦はまだまだ続くだろうし、副官としてBin Ladenを実務の面で支えてきたZawahiri容疑者はまだ生きているわけで、彼が化けて大規模なテロを組織するための精神的支柱としての必要なカリスマ性を身につけるかもしれない。ただ米国民がかつてのような形でAl-Qaedaを脅威として認識するためには、Al Qaeda側はもう一度9/11のようなテロを起こす必要がある。あの作戦を準備するために費やした時間と労力を鑑みれば、やはりテロとの戦いにおいては一つの転換点だと思われる。

撤退戦略。

去年も最後はバタバタバタと学期末が終わり、ホノルルに出かけたような気がするけれども、今回もおもったいレポートを抱えた状態で結局最後まで余韻に浸る間もなくミシガンでの学生生活も終了。

5月1日に発令が出ているのだけども、最後のレポートの提出をまきまきで頑張った挙げ句、5月3日に最後の一本を提出。

卒業式に出る時間が確保出来なかったのは人事課が変なスケジュールを組んだからだ、と公言しているので、徹頭徹尾「KYな役所」という印象を大学に残したに違いない。

今回の一件については生涯根に持つ予定。

これのおかげで何回お茶の時間を犠牲にしたか。全くもってデリカシーがないというか、無粋だ。

卒業に必要な単位は48単位だったにも関わらず、合計65.25単位取っていたので、自業自得という説が無いわけでもないのだけど(てへ)。

1ヶ月前の(くそ忙しい)時期に内示(国と赴任日)を大使館経由でもらって、授業と予習・復習の合間に、そもそも1) どこの国やねん(さすがに南太平洋の有象無象の島のどれかというところまでは認識していたが、小さ過ぎて google map で検索をしないと見つけられなかった) 、2) 大使館どこにあるのねん、というところを調べつつ、1週間くらい動揺を抑えつつ、フライトを調べて「転居無理」ということで、本省に電話して赴任日を後ろにずらせないかという話をしてというところで、いわゆる期末レポートとかプレゼンテーションの時期が来るような感じ。

その後は、ネタ切れや納期に追われて完全に機能停止。

それでもけなげに、平日に引越し会社に連絡をしたりして、そもそも「荷物運べません」とか、「繁盛期で予約がタイトです」みたいな話もあり・・・

そもそも赴任日に現地入りしてるのかなぁ(苦笑)

とか、

赴任日にまだアメリカにいたら、最初にお叱り電話をかけてくるのはどこだろう(涙目)

・・・モードになって、レポートもはかどらなかったり。

取りあえずレポートの目処がたったところで運良く日通が引き受けてくれることになり、なんとか「ギリギリ」で荷物が運び出せそうだということで無事に撤収が出来そう。

撤退の段取りを考える以前に、いろんなものが後手に廻ってるような・・・。

ナポリを見て死ね。

学部生の中には既に期末試験等を終えて引越しをしている姿を見ていたりするけど、自分はまだそこまで辿り着いていない。ミシガン大学の文系学生等と、歴史学、政治学、一部の地域研究関連が集まる建物のロビーに「Before  I Die, I Want To…」というお題で学生のメッセージが掲載されていた。例えば、「Go To Tokyo」とか、「Make A Song」みたいなかわいらしいものから、「Make A Difference(Mはミシガン大学ロゴ)」や、「Became A Michigan Difference」みたいな気合いの入ったものまで多種多様。

ちょうど卒業を間近に控えた振り返りの時期にあったということもあり、若干感慨を持って学生のコメントを見ていた。

2009年には自分をかわいがってくれて渡米前に見舞いに行く予定だったにも関わらず、祖母が自宅に戻ることなく亡くなり、人権畑の外交官の中では個人的に尊敬していた斎賀大使/国際刑事裁判所(ICC)判事がハーグで亡くなられ、さらにミシガン大学に来たら授業を是非取りたいと思っていたIEDPの立役者でもあり、チェコの大統領選で僅差まで現職を追いつめた我が校の教授 Jan Svejnar の奥様のKatherine Terrell教授も客死、ミシガンに行く直接の決め手でもあったC.K. Prahaladもその翌年早々に客死し、異国の地あるいは自分がほとんど知らない土地で死ぬってどういう感じだろうと考えることがあった。

もちろん奥大使や井ノ上一等書記官の件もあって前から考えているのだけど・・・。

自分が死に直面した時に「後悔」をするかどうか、という話。

欲が出ると、仕事と自分のプライドを同一視してしまいがちだし、行政官として「私」を押し出したり、それを自己実現の道具にするのはいかがなものかと思いつつ、何がしかの付加価値を付けていかないと自分自身として面白くない。

まだ外交の一線にもまだ立ってないし、本省での仕事でもそのバランスを組織の中でどう保つかという話でもまだ試行錯誤をしているような段階で(最終的には上司との間合いの問題だというどうしようもない結論になってるけど)、偉そうなことは言えないのだけども。

行政組織の中で仕事をしている以上、道半ばの仕事は誰かが引き継いでくれるはずだし、引き継いでくれる仕事をしているべきだと思う(引き継ぎとか、organizational memoryがごっそり抜けている場面を経験すると・・・(涙))。

自分の道しるべは自分と同じ人間がいない以上自分で見つけるしかない、か。

めんどくさい・・・。

他の大学でもやっていることなんだけど、毎学期必ず授業評価をやらないといけない。ミシガン大学の場合は、C-Toolsと呼ばれる授業関連の統合ウェブツールがあって、その中に授業評価のセクションがある。普段はこのセクション何もないんだけど、ある日突然ぽっと「授業評価やってねー!!」というメールと一緒に授業評価用のコンテンツが出てくる。

面白いのは、Bスクールの授業評価は別のアンケートツールを使ってる(ハンドアウトやリーディングはC-Toolsで提供してる)ことと、Ford Schoolの質問項目は同じC-Toolsで授業評価を集めているアカデミックスクールと若干違う点。

Ford Schoolの授業の大半はアカデミックスクールで使っている評価項目を使った方が良い結果が出ると思うのだけど・・・。

Ford Schoolの質問に、theoretical foundation (だったっけか?)を身につけるのに役に立ったかとか、プレゼンテーションで使うスライドはどうかとか、テキストブックは使いやすいかみたいな項目も加わっている。

Ford Schoolの奴もかなり面倒くさいが、さらに面倒くさい。

授業に対する御礼以前に、バタバタしている中でいろいろ考えながらレスポンスするのは結構負担(授業の記憶がぽっと出て来ない時もあったり(涙))。結構前にsurvey monkeyを使ったすごく重たい授業アンケートに丁寧に答えていったはずなのに、同じ授業の評価依頼とかあったり。

真面目に全部答えました。